応援すると見えてきたもの。

看護師としての思い

こんにちは。応援する看護師として活動しているタニタクです。今日は役に立つというよりは思いを書いている記事になります。
昨年8月で24年ほど働いた職場を退職し、やってみたかった事に全振りをしてきました。やってみたかった事とは自分の思いを確認する事。
職場の病院は終末期の患者さんが多くて、いつも患者さんとのコミュニケーションや会話している時に、
「人生なんてあっという間だよ。」
「楽しい事が今のあなたには選べるけど、気付いた時には選べなくなってるよ。」
「あの時しておけば良かった。そんな後悔あなたはしないでね。」
「心残りばかりの人生だったよ。」
など、たくさんの言葉を聞きました。大半は後悔とあなたは私のようにならないように今からでも出来るから。というアドバイス。
若い頃は「そうですねー。」と軽く聞き流してしまっていた皆さんの優しい気持ち。
その言葉の大切さに気付いたのは、自分が病気になって手術した後。
入院してベッドで横になったまま1日を過ごしていた時です。
ああ、こんな思いでみんな横になっていたのか。
忙しく働く看護師を見ながら、迷惑をかけちゃいけないなと思いつつ、医療についての知識がある程度あるから自分は今後を予測できるけど、わからない方は不安で押しつぶされそうになるかもしれない。
そんな中でご本人の事では無く、他人である私の事を心配してくれていた…。
相手の事を見ようとしていたけれども自分がそこにいた場合と仮定しており、本当に患者さんの立場や思いになれてなかったんだと気付いたのが手術をした30代前半。
そこから職場復帰し、相手の事を考えて看護に取り組んで来ました。しかし、終末期の方が入院してくる病院であった為、自分と会うまでには病気にかかり、同じような思いをして入院を繰り返した方が入ってこられ、「最後にあなたに会えて良かった。」と言われるのが出来る精一杯でした。
そんな中でSNSが普及して、自己表現がしやすい時代になり、たくさんの発信をされている方が出てきました。
自分や同じような思いを持っている職場の仲間だけでは務めている病院の中は変えようと出来るけれどもそれ以上は無理だと感じていた時にYoutubeやSNS、ブログで発信するという事に興味を持ち始めました。
そんな中で聞き始めた西野亮廣さんのVoicyと、たまたまYoutubeで流れてきた鴨頭嘉人さんの心の矢印の話。
どちらも当時の自分に刺激的な話であり、頭をぶん殴られたような感覚であったのを覚えています。
こうやって発信すると、その思いが人に伝わるし、仲間が増えるのかと。自分がやっている事が完璧とは全く思っていませんが、だからこそたくさんの同じ思いを持った仲間と進む事ができたらなと思っていました。
でも忙しいから、体調がすぐれないからと理由を付けて毎日を過ごし、どんどん出来ない事を探してしまっていた。
これではいけないと思い、体の治療に専念しながら、自分の思いが医療従事者やその他の方にどう思われるのかを確かめたくて、仕事をしてない期間を使い仲間を応援する事を始めました。
もちろんその場での報酬とかは無いけれどもそれでいいと思っていて、何より自分の思いがどうなのかを確認する機会になるだけで良かったんで。
そこで実際応援していて気付いたのは、人の繋がり。
素敵だなと思う人の周りは同じような考えの人が集まっており、またその人の周りには魅力的な人がいる。
その人に会って応援する為に、気付いたら福岡を拠点に、大分、宮崎、鹿児島、佐賀、山口、岡山、東京とかなりの場所に移動していました。
そこで思うのは、オンラインでは味わえ無いオフラインの良さ。
膝を突き合わせて飲んだり食事したりの大事さ。
某感染症の事もありビニール越しであったりしましたが、それでもその人の熱量や感情、思いがダイレクトに伝わるのがやはりオフラインの魅力だなと思います。
また、その場所に行かないと味わえない空気感や雰囲気も大きいのかなと思います。大分には大分の、宮崎には宮崎の、東京には東京の空気感があり、自分にとって感じる物がある。それが実は大きいのかなと思っています。
これが応援を続けた今感じた事です。
これを続けて行く為、また誰かを応援するには自分が充実していないといけない為、自分に価値を付けるという意味でも発信を続けて行こうと思います。
とりとめのない文章になったかもしれませんが、読んでいただきありがとうございました。

ちなみに移動し泊まる際にはじゃらん.netを利用してホテルを探していました。参考にリンク貼っときます。


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